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民主主義、個ということについて

 民主主義って何?と、これが日本の民主主義ですと言われたら考え込まずにいられないのが事実ではないかと思います。
建前と現実の違いをまざまざと見せつけられて民主主義なんて死語だと考える学生が多いと聞いたように思うのはもう何十年も前でした。
戦後の日本が新しい国つくりの基本としてはじめた民主主義がどう変わったのかというと自分中心主義、能力主義、新自由主義にいれ変わったのでしょうか。
全体主義や独裁的国家主義に対置した個人中心、尊重という理想がやりたいことをやること、弱肉強食の生存競争、それが社会の発展を促し調和も作るという考えにつながったのでしょうか。
明治以前は藩主を頂点とした封建制度、頂点に徳川幕府があり、一方に天皇が在位して、これらの統治治世の下で個とか民主主義という人と人の関係はどうだったのでしょうか。全体としては封建的集団主義だったのでしょうね。日本人が集団に重きを置いて自分より集団の考えに合わせるのも長い伝統からもたらされるのでしょう。敗戦を境に価値観をガラリ変えたのも国や集団の考えに合わせる日本人だからできたことのようにも思います。規範は自分が作るのではなく、上から与えられ降りてくるものとして慣れています。
今は主体がなかった反動からか建前は個人中心になって「落ちるのも高みに上るのもあなたの自由ですよ」という時代。自己責任です、そして社会の有益にならない場合は他人や社会の足を引っ張るな、そんな暗黙の了解が社会の底をながれているようにも見えます。
 個人を尊重しているように見えながら、実際は恐ろしいほど、絶対的天皇制の下で天皇の赤子として国に奉仕することを強制された戦前よりソフトな全体主義になっているのかもしれません。
 なぜそうなるのだろうと考えると力のある個人、あるいは集団が自分の考えにあわせた政治をおこなうようになるからです。弱肉強食の自由主義とはそういうことだと思います。
 どちらも民主主義ということはできないでしょう。
 本来自分が一番大事で可愛いのが生の本性ですから競争に勝つということになったら他人のこと、社会全体のことなど考える余裕はなく、考えたとしてもそれは自分の利益にどのようにつながるかになるのではないかと思います。
このように自分しか愛せなくなった近代人は自分が愛すべき他者を見失ったとロレンスが書いていると新聞でみたことがありましたが、自己愛だけから出発した人間観、社会観、世界観がどれはど一面的であるかがわかります。
実際は自他は繋がっていてそれ自体ではないから誰もがコスモポリタンとして考えなければ人の命にとって良い社会にはならないのだと思います。
 スピノザという哲学者は「人間の行動はすべて原因によって決定されており、自由などはない(この場合の自由というのは実は自己原因ということ。原因によって規定されていない、純粋の自律性のこと)と考えたそうです。つまり自分に自由があって、自由な意思があるなどということはない。すべて原因によって決定されていると考えたわけです。
 それではどんな罪も悪行も自分の意志ではないということになってしまいますから、そこでスピノザやカント、マルクスなど、自然的社会的因果性を括弧に入れてあたかもそれを超越したかのようにふるまう、それを倫理と考えたということです。あたかも自由があるように「主体であれ、自由であれ」という言葉がすっきりするように思います。自由である自己選択があって選択にたいする責任も生まれます。
カントはそこに道徳をみました。
 民主主義は個の尊重からうまれた社会の原理ですが、すべての個人が生きやすい社会にしたいと思うなら自然(自然的社会的因果)から自由は生まれない、自然的社会的因果を括弧に入れて「主体であれ自由であれ」という言葉を肝に銘じたいと思いました。

 「親はなくても子は育つ」という諺がありますが、坂口安吾は「親があっても子は育つ」といったそうです。わたしは親というのはそれ位の存在なのだとなかなか事実をついた言葉のように思いました。最近強く思うことがあります。親は子どもより賢くてえらい存在なんだなどということはない。親も子も一生懸命生き方を探している、不明だらけの存在なんだと。間違いだらけの影響を与えている親もいます。「親があっても子は育つ」という言葉には考えさせられました。

民主主義はまだ不完全発展途上の理想なのだと思います。そのことをはっきり認識していないととんでもないことになってしまうのではないかと思いました。









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タックン

風船かずらさんの記事を読むと、いつもは考えないことを少しだけ考えます。でもコメントがうまく書けないのが残念です。
by タックン (2023-02-16 15:55) 

風船かずら

タックン様、コメントしずらいことばかり書いていてごめんなさい。読んでくださってありがとうございます。これからもずっとお友達でいてください。よろしく。
by 風船かずら (2023-02-20 12:55) 

静謐な一日

英国やフランスやオランダの個人主義は、明らかに日本の個人(中心)主義とは違っていました。
何だか『人類愛』というようなものが、背景にあるような気がしたものです。
つまり自分や自分の身の周りにいる人達と、世間・社会全体を分け隔てというか区別していない一体のものと考えている様に思えたのです。
by 静謐な一日 (2023-02-22 12:43) 

鈴木あや子

日本は民主主義、自由主義の国と多くの人が思っていると思いますが、自由って何か、民主主義って何か考えると結構難しいですね。
自由は個人の選択の自由と責任の問題でそれは誰に対する何に対する責任や義務なのでしょうね。この世の中に生きるすべての人への人類愛のようなものにもとづくのかもしれませんね。
by 鈴木あや子 (2023-02-23 17:07) 

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