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生きる。

「人間個々の自立的な自己決定能力を前提にし、そうした人間たちの自由な結合体としての社会を構想したのがヨーロッパ近代だったとすれば、ここで表明されているのはそうした近代の構想への根本的な疑念である。人間はそうした自由に耐えうるほど立派な生き物ではないのではないだろうか」

 この言葉は地下鉄にサリンがまかれるという事件(1995年)があった後、「されどわれらが日々」の著者である柴田翔氏が新聞に書いていたコメントです。
今の時代を見るとますますこの言葉にうなづかずにいられない気持ちがします。

 今「オレ様化する子どもたち」諏訪哲二著を昔読んだときのことを思い出しもう一度読んでいます。

戦後の教育改革から現在まで、どう変わってきたのか、子供はどう変わったのか、のみならず現代をどうとらえるか。著者のかなり本音が出ている本なので見方考え方議論のあるところだと感じるところがあります。しかし今に続く問題が提起されていてさらに議論が深められ発展させることが必要なのではと感じました。民主主義、個、主体、自由といった問題をしっかり考えなければ次の時代を失うかもしれません。


 個人も宇宙世界も一色ではなく多色で多様で、しかもグラデーションがかかっていてメルビュスの輪なのですね。しかしそこに私(個人)はいます。希望することをやめない個人がいます。

 民主主義ってとても足元の具体的な人間関係からはじまるのですね。そう考えたとき希望がふくらみます。



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コメント 4

扶侶夢

>個人も宇宙世界も一色ではなく多色で多様で…
この事を認めようとしない人たちが作っている国家には民主主義なんて魂のない幻想です。
by 扶侶夢 (2023-03-04 12:04) 

風船かずら

扶侶夢様 戦前の国家主義、家族主義に帰ろう、返させたいという動きが強まっていますね。人間が作ってきた長い歴史や伝統とかいうものをキチンと考えないで、ただただ戦前回帰復古的なことがただしい、なつかしい人たちがいます。権力だけを夢見る人たちに戦争を回避する力なんてありません。しかし彼らが政権を担い、政治を動かしています。それが心配です。

by 風船かずら (2023-03-04 18:02) 

静謐な一日

自由って、守って育ててあげないと、なくなるものだと気づかない多くの人達。
『自由』を『自分勝手』と勘違いしている人達。
そんな若者や中高年が増えてきている日本。
先行きが明るいとはとてもお粗末な社会!
by 静謐な一日 (2023-03-09 15:12) 

風船かずら

静謐な一日様本当はどんな願いを持って生まれ育ってきたのか、その時の願いは守りそだてないと無くなるのですね。自分勝手を振舞うことが大事だなんて、今はそう思って一生懸命な人がいますね。大事なものがどんどん無くなりやせ細っていくのが心配。自分もそれを見失わないように心掛けたいです。
by 風船かずら (2023-03-11 20:49) 

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