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自己肯定について [思うこと]

自己肯定について
一寸の虫にも三分の魂、(自己)評価と(自己)存在の肯定とは別。
文明と文化はどう違うか、意味の違い
現代文明社会の光と影
自己肯定とはなに?真の自由とはなに?

最近よくいわれることがあります。自己肯定感を高めようという言葉にひっかかるところがあります。
自己肯定が優劣や能力の意味なら、私はとても低い。色々な意味でどうしようもない人だと思うことが多いからですが、能力や社会に生きていくうえで必要だったり大切だったりすることがあまがないような情けない人物だったとしても、私はその存在を大切にしたいと思います。
自分を大切にして愛したり、励ましたりしています。
文明は人の手で作られた構造物で、文化は人の生存、活動そのものだと思うのですが、その生存活動が評価や分断や紛争になるのはなぜでしょうか。そこに働いているのが自己愛という生存力だと思います。しかし人は皆自然界を含む壮大な関係性、相互扶助の網目の存在で、誰一人として自分ひとりで生きていける人は存在しない。川を流れ下った水が海に注ぎ一体となるようにあらゆる関係に境界はないとかんがえるべきでしょう。
私の家ではよくアメリカの西部劇がテレビで放映されています。とても動的で力の対決、力がないと生きていくのは難しいんだなと思います。
日本は周囲との協調が大事で集団思考が強い、アメリカがDO文化とするなら日本はBE文化といわれるようです。でもどちらにしろ一長一短があって、そこに自分がないとか他者が存在しないかだったら社会は歪み、網目は破壊されるか、一部の人だけが生き残る地球にかわるかでしょう。私は一部の人だけが生き残る社会であってほしくないと思っています。

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