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老人日記 4

 猛暑、酷暑ですね。どうぞ体調に心を配って大切にしてくださいますよう。
どうしても昔と今を比べてしまうのですが。昔暑くなる午後二時から三時という時間は農作業もしばらく休んでお昼寝タイム、小学生から高校生などは授業が終わり、下校になる時間帯でした。直射日光を浴び、汗だくになりながら炎天下、一時間くらい歩いたり、自転車に乗ったりして帰りました。当時は塾とか習い事とかはなかったので、時には寄り道、道草を食いながら帰宅。それから友達と遊ぶことも。概して汗をかくことには慣れていたのかなと思います。今から考えると全くの野生児です。夕方以降には涼しい風が吹いてきたりして、夜明け頃には少し肌寒いくらいな気温。地球は温暖化から沸騰期になっているというのですから、このわずか数十年、あるいは半世紀からの急速な変化には驚かずにいられません。
 今高齢で元気な八十歳以上の人の子供時代は似たような環境だったのではないかと思うのですがどうでしょうか。
 ところでそのころもクラスの中に、運動神経がよく運動が得意、歌やダンス、芸術的表現が得意な子と、あまり運動が得意でなく、勉強が好き、読書好き、内向的な子、そのどちらにも偏らない、運動も優れ、勉強も得意、何に興味があるのかはっきりしないという大まかに三つのタイプがありました。
 わたしは運動が得意ではなく、身体表現、コミュニケイションも上手というほうではなかった。運動会の駆け足競争はいつもビリか後ろから二番目で、鉄棒や跳び箱が苦手で一度も成功経験なし。一度、私の小学校四年から六年の担任は体育の優れた先生で、いつも地区の競争などで一番になる先生、この先生の鉄棒の時間にわたしは頭から地面に落っこちてしまう始末。鉄棒の持ち方がちがうとひどく叱られたことが有りました。先生としては責任のある仕事ですから、私のドジぶりが許せなかったのでしょう。 
 なぜ運動が苦手だったのか、最近ネットで見た記事、kodomo-manabi-labo-net「 運動神経のいい子ども」6つの特徴になるほどとうなづいてしまいました。
 運動に限らず、自分の小さいころからのネガチィブ思考がどうして生まれたのか、その背景やそうした親の人生観が子供たちにどんな影響を与えるかを考えてみたのが小説を書こうと思った動機でした。

 子供は自分の自由になるとき、力を発揮したり成長したリすることが明らかになっています。意欲と達成感、充足は次の更なるやる気や挑戦につながり、挑戦と成功体験の積み重なりが自己肯定や自信になります。
 自分の人生を生きるのは自分です。自分の自由とは異なる世界、地球のわずかな一瞬の旅人である人生の主体はあくまで自分で自分に帰るという意味で自己責任なのだと思いました。地球の無限のなかの一瞬の自他の旅をともに大切にしたいなと思います。



 
 

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