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生きる。

「人間個々の自立的な自己決定能力を前提にし、そうした人間たちの自由な結合体としての社会を構想したのがヨーロッパ近代だったとすれば、ここで表明されているのはそうした近代の構想への根本的な疑念である。人間はそうした自由に耐えうるほど立派な生き物ではないのではないだろうか」

 この言葉は地下鉄にサリンがまかれるという事件(1995年)があった後、「されどわれらが日々」の著者である柴田翔氏が新聞に書いていたコメントです。
今の時代を見るとますますこの言葉にうなづかずにいられない気持ちがします。

 今「オレ様化する子どもたち」諏訪哲二著を昔読んだときのことを思い出しもう一度読んでいます。

戦後の教育改革から現在まで、どう変わってきたのか、子供はどう変わったのか、のみならず現代をどうとらえるか。著者のかなり本音が出ている本なので見方考え方議論のあるところだと感じるところがあります。しかし今に続く問題が提起されていてさらに議論が深められ発展させることが必要なのではと感じました。民主主義、個、主体、自由といった問題をしっかり考えなければ次の時代を失うかもしれません。


 個人も宇宙世界も一色ではなく多色で多様で、しかもグラデーションがかかっていてメルビュスの輪なのですね。しかしそこに私(個人)はいます。希望することをやめない個人がいます。

 民主主義ってとても足元の具体的な人間関係からはじまるのですね。そう考えたとき希望がふくらみます。



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